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広島県広島市在住。日本近代史大好きの会社員です。
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日常メインのブログ。時々ログ絵のっけたり本の紹介したり…。基本気ままな活動ブログですww
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さて、入館券を購入し、中へ!!
そ・の・ま・え・に。
受付でダメ元で「写真って駄目ですか?」と伺ったところ、
「少しならOKですよ」と嬉しいお言葉をいただき、
本来だったら撮影NGの館内を
ずうずうしくも写真に撮らせていただきました!
(入口の看板にNGと書かれています)
皆さまご来館時は、無断で撮影はご注意ください!



たぶん、入って最初に目が合うのはこの肖像。
これ、東郷の死に絶望していたエディ夫人を慰めるため、
一周忌に、東京裁判の際
東郷の弁護を担当したブレイクニー弁護士が贈ったものだそうです。
…ええ話です。 そして、東郷のまなざしが…優しい…vvv

館内は複製も含みますが、ほかでは見られない東郷関連の展示が盛りだくさん。
代表的なものとして コレ☆↓↓

中央は大礼服。右に勲章、左に東郷の号(青楓)の印。
壁かけられているのは右が外務大臣任命書や貴族院議員任命書。
左は自筆の書。すごく丁寧で美しい字。

展示物を中心に、パネル展示を通して東郷の生い立ちから晩年までを
年表で紹介しています。
そして約3分ほどですがスクリーンにビデオで東郷についての紹介映像付。
短めなんで、何度見ても…。あ、ちなみに自分で好きな時に再生できます。
ボタンをぽちっと押すだけ☆

展示の一品ずつのメモをとりとり、展示物の文章を書き写ししてたら、
だいたい2時間くらい居座っていました。
面積としてはさほど広くはないのですが、私にとって、居座るには十分な内容。

その他の展示物としてざっと紹介しますと…。
・外相時代の名刺・手鞄
・日米交渉乙案草稿
・愛読書
・孫への手紙  etc.

東郷ファンにはきっとたまらない空間です。

展示コーナーを抜けるとテーブルなどが置かれているロビーのような空間。
実はこの建屋、公民館でもあるようで、東郷とはほとんど関係ないような
本がちょこっと置かれています。
簡単な集会でもするのかな??
ただ、このロビー(?)へ行くには東郷展示室を必ず通過するような構造になっているww

休憩とメモの整理にと椅子に腰かけふと顔を上げると、
古い新聞紙に美しい字でお習字しているものが目に留まり…。
よくよく見ると東郷の字!!!!!
「ナニコレ!」とばかりに必死に模写。

(私の影は気にしないで…。ちなみに中央の新聞記事内の写真は
 東郷元帥。)

後で受付に聞くと習字の練習に
新聞に書いていたものがあったので展示してるとの事。
…なんて庶民的な…!!!

館を出て、しばらく歩いたところに広場があり、
そこを少し過ぎたところに、東郷茂徳の像があります。

少し不思議なポーズですが…。
相変わらず木陰で涼しそう。
いや、さすがに今年は暑いか?

場所が鹿児島市内ではないため、訪れにくいと言えばそうですが、
鹿児島本線で東市来駅で下車するか、レンタカーで美山ICを降りるかです。
個人的にはレンタカーおススメ。
駐車場もありますので☆

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8月14日。鹿児島県にある東郷茂徳記念館に行ってまいりました。

何年ぶり?6年くらいぶりだろうか…。
今回で2回目なのですが、前回と同じ夏に来たので
印象的にはほとんど一緒www
日差しがまぶしい…!!!!!
そして変わらず穏やかな美山。

記念館前の駐車場に車を停めて、イザ!

 
↑記念館の正門。生家の門を復元したそうです。

ザ・鹿児島 な石造りの塀や階段に囲まれ、
門をくぐると見えてくるのが記念館の建屋です。

↑ちょっぴりスタイリッシュな白い建物。記念館。

この場所はもともと東郷の生誕地で、建屋の目の前あたりが
生家跡として残っています。
なんとなく基礎が残っているのが…わかります??↓↓

ヒマワリが照りつける日差しにめげず咲いていますが、
ヒマワリ=重光を自動連想してしまう管理人の脳内は…複雑(笑)

門をくぐり記念館へ向かう途中に碑が立っています。
向かう途中の蜘蛛の巣バリアーにもめげず(うっかり ひっかかっただけ)
一枚ぱしゃり。
迫水久常の字だと…。


そして館内へ。受付でチケットを購入と思ったのですが、
完全オフモードの受付。
以前きた時を思い出しつつも入館券の購入のため窓をノックし
「すみませーん」と一声。

そう。前回もなのですが、基本はオフなこの記念館。
ちゃんと開館日なのであいてはいるんですが…。
たぶん、来館者が少ない…のかな。
…いやいや。そんな事はない…はず。。。
重光んとこだって、結構人来てたじゃないかっ!!

と、そんな事はおいておいて、
記念館の入り口のカギを開けていただき入館!!

※続く※

※・・・・※・・・・※・・・・※・・・・※・・・・※・・・・※
拍手、ありがとうございましたvv


 「真の政治家が国運を賭して対外施策をする場合に、二つの要件がある。刀を抜かずに目的を達すること。これが最上の策であって第一の要件であることはもちろんである。
 しかし現実の国際社会で、彼我の主張が対立した場合に、過去何百回となくひき起されて来た戦争の災禍に、わが国だけは例外として絶対に引きこまれないなどということは夢想家のたわごとでしかないと思う。したがってこのような災禍にわが国が直面せねばならなくなった時にも、なお、国を守り、許された最善の条件で我が国が戦えるように。
 これが第二の要件、第一の要件を最上の要件とすれば、この第二は最低の要件とでもいうべきものだ。自分の一九四〇~四一年に行った施策は、このふたつの要件を基底として組立ててある。
 いわば和戦両様の姿勢である。
 運つたなく第一の要件は破れ、戦争になって今日の敗戦をみた。自分の施策の第二の要件だけが今日残っているわけだ。攻撃されるのも仕方がない。政治家の宿命だよ。」
※出典※
朝日ジャーナル 1964年8月掲載 松岡謙一郎氏 記

今日は松岡洋右の命日です。
1946年6月27日から67年経つ事になります。

上の文は長男・謙一郎氏が戦争責任を弾劾される父に向って、その悲しみを打ち明けた際、松岡が言った言葉。
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やたらと私が彼をプッシュする理由(笑)

彼はホントに見る角度や見る人によって、
人物像の書かれ方がとても変わる人です。
一般的に、戦前昭和の悪者役を一手に担っている
風に書かれることが多いですが、
個人的にはそんな事ないのでは…という側に立っているつもりです。
人物について「良い人・悪い人論」で事を語るのは
本意ではないため避けさせていただきますが、
彼に関して思うのが、世に言われる「悪者」ではないのではと思う次第です。

根拠を問われると回答に困るところなのですが、
…あえていうなら直観。
(すみません突然なアバウトな論理でwww)

ただ、色々な書き物(本人の物もですが、かかわった周囲の人の著書)を
読んでいると、みんな「一般イメージは誤解だ!」と記している。
…という事は、そう言わせる何かがあるのでは?
実際に接した人ではないとわからない何かが…。

でも、調べようと思っても、彼自身が自己弁護する言葉は残されておらず、
特に三国同盟についての記録って、すぐに手に入る状況でもなく…。
ましてや、見る方向ごとに語られる人物像や論説が極端に偏っている現状。
そう考えたとき、松岡洋右を知るためには、
「この人の性格や考え方を理解しないと、実際に何をしたか
何をしようとしたか、本当のことを知ることができないのでは?」と思いました。

極力彼と同じ思考を手にする。
スタートラインはそこからだ!と。

もちろんすでに故人であるため、実際に話してみるという手段はとれませんし、
彼の場合特徴的な性格(あえてこのような表現でwww)のため、
演説や書き物だけを頼りにすると、的外れの人物像に到達しかねない。
なので、極力「オフ」の話を拾い上げる事に このところ苦心しています。

こんなことしてなんになるのか。

もちろん私は研究者ではありませんし、何かを発表するような
大仕事をなせる人間ではありません。
でも、こうやってワヤワヤと静かにプッシュし続けることで、
いつか誰かが松岡洋右に関心を持ち、
同じような路線で彼の業績を考える人が一人でも増えてくれれば…
という思いのみで活動します!

ご冥福、お祈りします…。



何にも語ってないですけど「八重の桜」見てますー。
今最も厳しいところですが、普通の大河だと20分くらいかけるところを
さらっと流してしまうのが笑える。

八重さんが主役ですからね、そらしゃーない。

ぶっちゃけ、会津の幕末史は無知と言ってもいいくらい知らない。
親が二人そろって山口だから仕方ないかも。
でも、そのかわり山口の幕末は嫌なくらい耳に入ってきてますから…。

そんな環境で育った自分が感想なんてかけるわけもないですが…。

一つだけ言うなら、ご家老周、気の毒。。。
外様と譜代ではこういう感覚的なものは違うのかもしれませんが、
うちの家に伝わってる君主と家臣のお互いの役割って、
こんな感じじゃなかった…と…。
禁門の変の後とか。


でも、知らないからこそ、ある程度受け身に見ています。
ちょっと色の強いところある気がするので、あまり鵜呑みにしない程度に。


相変わらず記事と関係なくログ絵。
木村鋭市。色つけて書いていなかったので、
半分覚えのつもりで。



梅雨入りという事で、朝から思い切って衣替えしてみました。
が。その後の寒さ…。どうよ。。。

そして梅雨による湿気対策のために
宝物入れの乾燥剤も入れ替えました。

コレクターではないのですが、時々買っています。
ほんと、年に1回あるかどうかくらい。


そのなかで今一番高値だったもの↓


松岡→有田書簡www


松岡の字ーvvv(そこか、ツボ…!)
旦那には私が死んだら寄贈しておいてくれと伝えているvv
燃やされるわけにはいかない…!!!


この時期はほんとかでもうっかりすると
よれよれんになってしまうので、
要注意のシーズンです。


あまりジメジメが長く続かないことを祈ります。

※・・・・※・・・・※・・・・※・・・・※・・・・※・・・・※
拍手、ありがとうございましたvv



※5/4に行った萩日帰りの記事その4(ラスト)です。

最後に訪れたのが桂太郎旧宅。

◆入口からの写真。目の前には川が。

この旧宅は桂太郎が少年時代を過ごした土地に建てられたものだそうで、
主に住んだというものではないそうです。
でも、桂のイメージにぴったりで、派手な感じはなく
むしろ質素。でも風情ある…渋い感じのお宅です。
◆お庭の隅にひっそり…

あまり近づくとお顔が見えません(爆)


展示物はあまりありませんが、
複製の肖像が…、ガッツリ日焼けしています。
お宅がけっこうオープンにしてあるので、明るいのです。
上がらせていただくこともできますvvv

受付の方に聞いたのですが、
広島の廿日市に桂公園というのがあり、
そこは桂太郎の先祖の居城跡だそうな。
地元では桜の名所として聞いていますが・・・。
これは一度行ってみねばです!!
・・・たぶん何もないかと思いますが。

◆旧宅前に流れる藍場川


日帰り強行だったのですが、
天気も良く、あちこち回れて楽しい一日でしたvv

萩にはまだまだ名所があり、
回ってないところもまだたくさん残っていますので、
また折をみて行きたいと思います!

あ。
今回のお土産☆
萩ガラスのグラス↓






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