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あおい
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広島県広島市在住。日本近代史大好きの会社員です。
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日常メインのブログ。時々ログ絵のっけたり本の紹介したり…。基本気ままな活動ブログですww
今日は朝から福岡県は博多まで行き、劇団ショーマンシップ様による
「沈黙は語る」を観に行ってまいりました! タイトルでピンとくる人はつわものですwww そう、広田弘毅を題材にした演劇ですっ! まさかこんな日がこようとは。 「落日燃ゆ」を読んだときには想像もしませんでした。 内容は主に東京裁判。 すでに弁護人のスミスが担当を辞した後から始まります。 物語は東京裁判で何故広田さんは証言台に立たなかったか。 証言・弁明をしないことで、何を守ろうとしたのか。 無理やりの無いとても良い脚本でした。 広田ファンとしては満足な演目っ! ぶっちゃけ、今更ながらイベントなども行きたくなった。 あと、再演してほしい!!!!!!!!!!!!!!! ちょっとネタバレ的メモ。 ストーリー全部流れを語っちゃうと、劇団様に申し訳ないので、 箇条書きに個人的な面白ポイント↓↓ ・ジョージ山岡が「ジョージと呼んで」と言っても誰も呼んでくれない。(ラストに広田さんだけが呼んでくれたvv) ・広田さんの袖をクイクイと引く静子さんがカワイらしい…!!! ・若かりし頃の広田さんエピの登場が「まさか」だったので個人的に歓喜したvvv ・いつも真面目な広田さんだけど、浩々居に静子さんがやってきてからのギクシャクっぷりが…。 ・外務省同期の平田(他2名ww)が二人の仲をおぜん立てする際、「広田と結婚してやってくれ」という一言に対し、静子さんが嬉し涙。あとから登場した広田さんが静子さんの涙を見て、平田達が静子さんに何かしたのかと激高し、平田らを投げる投げるwwwww 取り乱し方がハンパなく素敵でした。 ・木戸孝彦が鼻につくwwww ・名前と写真がやたらと登場した山座師匠wwwww ・名前だけだったら吉田・有田も登場したよ。 ・花井「有田さんがみつかった!」←笑ってしまった…。 ほんと、メモですみません。 あとログ絵は広田さんが静子さんが涙したのは自分との結婚についての話があったからということを知らされた時。左わきに平田を抱え、右手で平田のほっぺたを挟みあげていました(笑) PR 今日は広田さんの命日です。
私にとって、広田さんと東京裁判は外交史に興味をもった原点。 広田さんは「落日燃ゆ」でその人生を知り、 その人物に興味と関心を抱き、 東京裁判で「戦犯」として多くの外交官が起訴されたという事実を知り、 外交官を含む外交から見る近代史に興味を持ちました。 ここで細かい議論を繰り広げるつもりはありません。 しかし、そういう意味で今日という日はある意味私にとって 原点を指し示す日です。 …しかし、広田さんって、霧のような人。 色んな人が言葉を尽くして書き残しているけれど、 読んでも読んでも、その人物像をつかんだようで 手のひらを見ると、どうもまだ自分の手が本当の人物像に 届いていないのではと思わされる。 ご冥福を…という言葉しっくりこないので、 もしも「あの世」があるのであれば、 今もご夫妻でお幸せに過ごされている事を祈るばかりです。 ↓何か久々のカラーイラスト。 今日はラーメン食べに呉に行ってきた。
その後、入船山…の予定でしたが、 呉駅についてからラーメン屋開店時間まで間があったので、 最寄りのてつくじら館行ってきた。タダだし! しかし、館をでてみると約2時間チョイの滞在。 館内にはボランティアのガイドのおじさまが各所にいらっしゃるのですが 機雷のコーナーで、ほぼワンツーマンですべて説明していただきました。 おかげですごくお勉強になりました。 本当に、機雷の掃討って大変なんですね…。 ってか、終戦直後の苦労と言ったら…。 何度も館には訪れているものの、直接説明を交えていただき、 さらに質問をしてとしていく中で、その苦労がひしひしと…。 あと、メカ好きなので、使用方法なども含めいろいろと教えていただきました(笑) そして、特に展示は無い最終のコーナー (戦時中の艦が装備していた望遠鏡が置かれている所)でも、 ついつい色々と聞いてしまい…。 不思議に思われたのでしょうか、ボランティアのガイドの方から 「マニアの方とかですか?」と尋ねられる始末。 即答で「いえ、仕事の関係の自主学習です」と回答。 「そうですか!」と、そこからさらに、色々と質疑応答。 展示の中でも真っ先に銘板探している女は、おそらく少なかったんだろう…。 さまざまな人から訝しい視線を送られていた気がします(笑) そして目的のラーメン食べに行って、 (すっかり予定時間オーバーwww) 入船山へゴーwwww 敷地内にはいろいろとありますが、メインはやっぱりこれでしょう!!↑ 長官官舎。 どれくらいぶりだろう…。 3・4年前に呉鎮で花火大会見た日以来か? すっかり大和に持ってかれた感じで、すこし淋しくもありますが、 広島で洋館といったらココくらいしか私はピンとこない。 それくらい県内では貴重な存在。 結構独占的に館内を堪能しました~♪ ※・・・・※・・・・※・・・・※・・・・※・・・・※・・・・※ 拍手、ありがとうございましたvv (続き)
杉の木に謎のお祈りをした後は、 小村生誕の碑を見に行きました。 この生誕の碑の揮毫は東郷平八郎によるもの。 そして、小村記念館で松岡が写っていた写真はまさにここ!! なので松岡と同じ位置に立って記念撮影もしました。 後で見ると、異常なテンションが明らかな写りしていたので、 ちょっと恥ずかしかったり…。(後の祭り) この日は広島へ帰る日でもあったので、 時間の押す中、小村の巣…じゃない、生家へーーーー!!! じゃーん。 遠目でわかりづらいけど、電灯あるよ! …じゃないって。 遠目で見るとこんな感じ。 非常に南国的な石造りの入口。 そして、当時の写真がこちら…。 玄関は結構当時の雰囲気そのままに感じれますね~。 実は時間の都合上、お墓と小村銅像まで回れませんでした。 また行きたい。また!!! …続き。 随分と書き遅れました。
以前書いた東郷記念館を訪れた同日、宮崎は日南まで足を延ばし とうとう行ってまいりました!小村記念館!!!! ようやく、ようやく行ったよ~…! じゃーん!!!↓↓ 南国武家屋敷の香り、プンプンですwwww こちらが記念館本館!↑ 館内は写真撮影禁止です。なのでひたすらメモを取る用意。 私の個人的な収穫なんですが、小村一門の記念写真。 若佐分利がいるぅーーーーー!!! いやぁ、駆け出しから興奮しました…。 佐分利は小村の娘さんと結婚しているので、 写っている事は何ら違和感ないのですが、 絵として確認したのは初めてなのでテンションMAXでした。 あと、写しではありますが、パスポート。 特徴を書き記したもので、現在のものとはずいぶん異なる物ですが その内容・・・・。 眼…並 鼻…高い 口…小さい 面…長い 明確に描かれているのは身長くらいで156センチだそうです。 私よりは低いです。館内には等身大パネルがあるので、 小村と背比べができます☆ ちなみに。松岡もこの後に写真で登場。 飫肥に小村候生誕の地記念碑が昭和8年5月に建てられ、 翌月の6月に松岡が訪れているときの写真が。 そして、かつては満州に建てられていたという小村像。 その背記は松岡によるものだったらしい。 もちろんですが、日露戦争時の講和会議に使用されたテーブルのレプリカを はじめとした関連資料も展示があります。 さて、「小村記念館」なので小村関連の資料がいろいろと置かれています。 若き頃に使用したノートや教本。フロックコートなど…。 ……そう。外務大臣にもなった人なのに、勲章とか置かれてない!!! と思ったら発見!! しかしよく見たら、本多熊太郎のものでした。 関係性はあるけど、どうして本多…?と首をかしげていたら、 記念館の事務員(?)の方が「熱心ですね、研究か何かされているんですか?」と 声をかけて下さいました。 …趣味です、戦前外交官について個人的に調べているんです…。 いろいろと話をしている中で、本多の資料がなぜ 展示してあるのかについてうかがう事ができました。 ご存知の方も多いかと思いますが、小村の背後には常に借金が付きまとっています。 ゆえに現存している展示物も金目のものがほとんどない状態。 それをよく知っていた本多はいつも小村の状況を悲しんでいたようで、 記念館へ本多の遺族が、せめて代わりに…と本多の遺品を寄贈されたのだそうな。 本多自身ではなく遺族自ら。 どれだけ本多が家族に向けて小村に対する思いを語り続けていたのかがうかがえます。 そして、今でも年に一度遺族から記念館へ金一封が贈られるそうです。 ……泣ける。泣けるじゃないですか!本多先輩!!! (続く) ※・・・・※・・・・※・・・・※・・・・※・・・・※・・・・※ 拍手、ありがとうございましたvv
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