「真の政治家が国運を賭して対外施策をする場合に、二つの要件がある。刀を抜かずに目的を達すること。これが最上の策であって第一の要件であることはもちろんである。
しかし現実の国際社会で、彼我の主張が対立した場合に、過去何百回となくひき起されて来た戦争の災禍に、わが国だけは例外として絶対に引きこまれないなどということは夢想家のたわごとでしかないと思う。したがってこのような災禍にわが国が直面せねばならなくなった時にも、なお、国を守り、許された最善の条件で我が国が戦えるように。
これが第二の要件、第一の要件を最上の要件とすれば、この第二は最低の要件とでもいうべきものだ。自分の一九四〇~四一年に行った施策は、このふたつの要件を基底として組立ててある。
いわば和戦両様の姿勢である。
運つたなく第一の要件は破れ、戦争になって今日の敗戦をみた。自分の施策の第二の要件だけが今日残っているわけだ。攻撃されるのも仕方がない。政治家の宿命だよ。」
※出典※
朝日ジャーナル 1964年8月掲載 松岡謙一郎氏 記
今日は松岡洋右の命日です。
1946年6月27日から67年経つ事になります。
上の文は長男・謙一郎氏が戦争責任を弾劾される父に向って、その悲しみを打ち明けた際、松岡が言った言葉。
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やたらと私が彼をプッシュする理由(笑)
彼はホントに見る角度や見る人によって、
人物像の書かれ方がとても変わる人です。
一般的に、戦前昭和の悪者役を一手に担っている
風に書かれることが多いですが、
個人的にはそんな事ないのでは…という側に立っているつもりです。
人物について「良い人・悪い人論」で事を語るのは
本意ではないため避けさせていただきますが、
彼に関して思うのが、世に言われる「悪者」ではないのではと思う次第です。
根拠を問われると回答に困るところなのですが、
…あえていうなら直観。
(すみません突然なアバウトな論理でwww)
ただ、色々な書き物(本人の物もですが、かかわった周囲の人の著書)を
読んでいると、みんな「一般イメージは誤解だ!」と記している。
…という事は、そう言わせる何かがあるのでは?
実際に接した人ではないとわからない何かが…。
でも、調べようと思っても、彼自身が自己弁護する言葉は残されておらず、
特に三国同盟についての記録って、すぐに手に入る状況でもなく…。
ましてや、見る方向ごとに語られる人物像や論説が極端に偏っている現状。
そう考えたとき、松岡洋右を知るためには、
「この人の性格や考え方を理解しないと、実際に何をしたか
何をしようとしたか、本当のことを知ることができないのでは?」と思いました。
極力彼と同じ思考を手にする。
スタートラインはそこからだ!と。
もちろんすでに故人であるため、実際に話してみるという手段はとれませんし、
彼の場合特徴的な性格(あえてこのような表現でwww)のため、
演説や書き物だけを頼りにすると、的外れの人物像に到達しかねない。
なので、極力「オフ」の話を拾い上げる事に このところ苦心しています。
こんなことしてなんになるのか。
もちろん私は研究者ではありませんし、何かを発表するような
大仕事をなせる人間ではありません。
でも、こうやってワヤワヤと静かにプッシュし続けることで、
いつか誰かが松岡洋右に関心を持ち、
同じような路線で彼の業績を考える人が一人でも増えてくれれば…
という思いのみで活動します!
ご冥福、お祈りします…。
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