お昼を一緒に食べている先輩が最近「もー嫌。死にたいわ。」
という、死にたい発言を繰り返しており、
もちろん本気の本気ではないかもしれないのですが、
ふと自分のことを思い出していました。
私自身も「死ぬ」という事はあるのですが、
あくまで仕事が多いことに対する
愚痴のような意味合いのものが最近の傾向。
人生が嫌だというつもりで「死にたい」と、
自分の『生』への不満を思い、口走っていたのは
小・中学くらいの頃までで、ある事をきっかけに
言うのも考えるのもやめました。
…いや、考えなくなりました。
以下はちょっと飛んでしまってる話なので
軽い気持ちでお読みください。
多分誰でも人生の中で一度くらい
「何のために生きているのか。死んでしまいたい。」
という思いを、心に抱えることがあるのではないかと思います。
本気度は千差万別でしょうが…。
私の場合は、振り返ると小・中学くらいの頃。
ある人に言われたことがきっかけで、
考えることがなくなりました。
「命は生かされているもの。時期が来れば勝手に死ぬ。
それに“何のために生きているか”など、思い上がるな。
たいていの人は“誰かのために生きる”んだから。」
…誰のために自分は生きたいのか。
それを常に考えろと 教えられました。
この人は、実は昔から私の夢に出てくる人で、
顔は覚えていないのですが、夢にしては珍しく声だけハッキリ覚えている人。
けして美声ではなく、濁音に特徴を感じる、高くもなく低くもない声。
でも道に迷った時に向かう先を示してくれる方です。
夢なので、潜在意識だったり記憶の奥底の現実だったり、
科学的な裏付けでその存在の正体を想定することもありますが、
それらとは関係なく「言葉」だけいただいています。
本当の意味で追い詰められた場合はこんな事じゃ解決できないですが、
あの時期の突発的に発生する感情はそれで見事に消え失せました。
…そんなお話でした。おしまい。
無意味に麿子
…ホントに無意味(爆)
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